長崎原爆記念日 東アジア最大のキリスト教会が消えた日

長崎原爆 浦上天主堂

70年前の1945年8月9日、午前11時02分。

広島に続き長崎に2発目の原爆ファットマンが投下されました。
場所は、長崎浦上天主堂上空。
当時は12000人の洗礼、堅信を受けた信徒を擁した日本で一番大きな聖堂。

東アジア最大のキリスト教会でした。

今では1000人を超える信徒が所属する教会をメガチャーチと呼び、残念ながら日本には存在しません。
東アジア全体のキリスト宣教の現状を見ても、現在は韓国にいくつかの会堂と、中国にいくつかあるのではないかと推測できる程度です。
当時の長崎浦上天主堂は12000人ですから、その規模がどれだけ大きな規模であったか、また東アジアの宣教史を紐解いても、これだけの会堂(教会)は当時も現代でも東アジア一番の教会。
それが長崎浦上天主堂でした。

8月9日、その日は木曜朝ミサが執り行われていました。

そして11:02分、長崎浦上天主堂上空の上空およそ500mで原爆は炸裂しました。
一瞬にして消滅、東アジア最大の教会は消えたのです。
12000人の信徒のうち、6000人は原爆の爆発と同時に即死し、最終的には原爆によって9000人近くが召されたとされています。

江戸時代の長いキリスト教禁制を耐え抜いて信仰をつむいできた長崎のクリスチャンにとり、また私たち日本人クリスチャンの先人の多くの犠牲があったことに深い哀しみを覚えます。

今年は戦後70周年という節目の年です。

私の世代では戦後70年の節目というものが、どういう節目を意味するのか図りかねるものがあります。
報道でもさまざまな、ニュースが流れる中で、主にあってひとつひとつを吟味し見極め、世の調子に合わせるのではなく、長崎はもちろん多くの犠牲を乗り越えてきた先人信仰者の労苦があって、いま私たちは豊かな暮らしの中で信仰を育ませることができることに感謝をしなくてはならないと、毎年の原爆記念日に覆われる哀しみの想いに御霊を通わせながら、感謝と主のとりなしあらんと祈るばかりです。

ローマ8章26.27節

御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。
私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。
人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。
なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク

たみ

たみ

投稿者プロフィール

ブログ管理人
Facebookグループ・キリストの手紙 共同管理人。
プロテスタント教会所属 

この著者の最新の記事

関連記事

ピックアップ記事

  1. 長崎原爆 浦上天主堂
    70年前の1945年8月9日、午前11時02分。 広島に続き長崎に2発目の原爆ファットマンが投…
  2. 5ddad14bc23c9a2972366f382916ef4e_s
    こんにちは。 近頃は、詐欺事件等が横行し、住所・電話番号・生年月日・家族構成等の「個人情報」は…
  3. B9LrdkJq2dLBPfL1435070197_1435070208
    もうひとりの助け主。 (助け主=慰め主) わたしは父にお願いします。 そうすれば、父はもう…
スポンサーリンク

Translate:

ピックアップ記事

  1. 長崎原爆 浦上天主堂
    70年前の1945年8月9日、午前11時02分。 広島に続き長崎に2発目の原爆ファットマンが投…
  2. 5ddad14bc23c9a2972366f382916ef4e_s
    こんにちは。 近頃は、詐欺事件等が横行し、住所・電話番号・生年月日・家族構成等の「個人情報」は…
  3. B9LrdkJq2dLBPfL1435070197_1435070208
    もうひとりの助け主。 (助け主=慰め主) わたしは父にお願いします。 そうすれば、父はもう…
ページ上部へ戻る
Translate »